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門松の話

お正月あまりに暇だったので 門松について調べていました
色々文献を参考にまとめましたので 鵜呑みにしないで参考にどうぞ。
01_06DSC_0146.jpg


門松の話

門松を飾る理由
松は歳神の依代だから門に松を立てその年の新神を迎える・・

普通はこの説明で終わりですが・・それではなぜ松なのかとか
竹なのか梅なのか

今現在 一般に松竹梅が使われる説明としては
*************************************************************************
松竹梅が慶事に用いられるようになったのは、室町時代からといわれています。
植物分類上でみると裸子植物(=目立った花が咲かない植物※)から松が、
単子葉植物(=最初にできる葉が1枚)から竹が、
双子葉植物(=最初にできる葉がふたば)から梅が選ばれています。
*************************************************************************
以上のような説明。
代表者の集まりというもっともらしい説明を各文献で見ることができます。 



いつから始めたのか
どうやら習慣としては色々と調べていると
平安後期のようです・・以下参照

年の暮になると、山から降りて来る、
神と人との間のものがあると信じた時代がありました。
これが後には、鬼・天狗とか色々その地域に根ざした神と人間の間の人と
考えられたようです。
正月に迎へる歳神様(歳徳神)も、それから変化したようで更に古くは、
祖先神が来ると信じたようです。
その山から降りてくる山人(神々)が持って来た土産には、寄生木や羊歯の葉
(これらは裏白など注連縄などに現在は用いられる)があり
、また杖などで用いたものが根が付き良い兆しとして、また山人が寄った証などとしても使われたようです。
門神柱(かどがみ‐ばしら)門松の原型 正月に年神の依代(よりしろ)として家の前に立てる柱。
愛知県設楽地方では、松のほかに竹、榊、栃などを使う、年神の依代が
門松に統一される以前の形を残すもの。 ..になったといわれているようです。
※折口信夫全集 第十七巻」中央公論社より引用

また 松のわかりにシキミや榊を立てるところも現在に残っています。
門神柱が色々な木になったのはそれぞれ地域性にあるようです。
地域性は 些細なことから違う木を使ったりしたようです
松の葉先を目に刺したから駄目とか そのような事

主な門松の代わりに立てられる木 楢・椿・たら・栗・榊・竹・シキミ


遠来の神々・先祖神を祀るため 竹など間に注連縄などを繋げシトギ(餅の前身米粉を溶いて固めたもの)を吊った
その下に松を立てたようです。松を添えることにより門神柱に山から下りてきた霊が宿ると考えたようです。
松を山から伐り出す事を、伐るとは言はないでおろすと言うらしいですが、
古くは、はやす と言ったそうです。松ばやしがそれです。はやすは、はなす・はがすなどと一類の語で、ふゆ・ふやすと同じく、
霊魂の分裂を意味した語で、松を迎える事は、分霊を迎へる事で、松は即、その霊ののりものだということらしいです。
参考文献「折口信夫全集 第十七巻」中央公論社

本来日本民家でカドというのは,母屋の前の庭のことで,
そこは福の神がやってくる祝祭空間と考えられていた。
「カドマツ」という言葉も,そうしたところからきた言葉である。  
なお,門松を立てないところもある。
大阪をはじめその近郊では門松を立てないのが一般的な風習で,
家の中で盛大にまつるのを建前とするところもある。
そこでは「拝み松」形式の年神の祭壇を設けている。
井宏實著『民具の歳時記 増補版より引用

このようなことから 松は歳神の依代という考えが地域習慣などと共に発達して
門松となったことが考えられます。

一般には
平安時代の宮廷儀礼である「小松引き」がルーツで
「小松引き」とは、正月初めの子の日に、外出して小さな松の木を引き抜いてくる貴族たちの遊びの一種で、
この「子の日の松」を長寿祈願のため愛好する習慣から変遷したもの というのが門松の始まりということです。

根引き門松


「徒然草」にも
「大路のさま、松立てわたして、はなやかにうれしげなるこそ、またあはれなれ門松の話
通りには、松かざりが立ち、晴れ晴れしく正月気分になるのは、たいへんよいものだ)」
とあり、平安後期から鎌倉時代にかけては、
門松が都の風俗として一般的なものとなっていった、このような諸説表記が多く見当たります。

平安時代が門松を飾る習慣の始まりだったらしい・・では 
現在の門松の原型が出来上がったのは、室町時代になってからのようです。
竹も長寿を象徴することから、竹と松で こうしたかたちができあがったと言われています。
(この時点で単子植物云々の話は怪しいですね)
室町時代には家屋に床の間ができ、そこに兜に具足餅を飾ったと文献にありますが
庶民にはまだまだだったようです。

いけばななども室町時代から江戸時代に急速に発展していますから
粋などの文化はこの時代と考えておかしくは無いですね。

江戸時代に入り、藩の上屋敷に飾られた門松は
江戸庶民の格好の見物となったようで
浮世絵などにも記されています。
(花見とか色々とレジャーを楽しんでいた江戸の庶民ですから門松見物も当たりま枝でしょう)
この頃の松飾は(松飾りは)また葉のついたままの竹が、
松よりも高く立てられているのものも文献で見受けられます。

徳川幕府はというと
幕府城内は松を立て、竹を両側から挟み、
更にその左右に竹を二本、少し離れて立て、縄で括る。
又江戸武家・大店には松竹を立て、その竹に更に竹を横たへ注連をかけることもあり、
これこそ門松の中、最も進歩し且つ華美となった形式で、江戸時代末葉の特徴を示していたと

また徳川家から門松を拝領していた浜町の安藤対馬守という大名がいて、
奥州磐城平、五百万石の小諸侯だが、ここだけが門松を拝領していて
将軍家と同じ門松が飾られていたそうだ。
『三田村鳶魚全集 第九巻 お大名の松飾り』より

またこの松飾が異なるのは竹の束を中央に配置した形で
竹束とは、戦で火縄銃を使うようになると、
それまでの楯では打ち抜かれてしまうので、竹の束を楯として使うようになった、それを
松飾の中央に配置してあるという
(このあたりが 現在の竹を中心に配置する形の原型のようにも思えるが・・・)
またこの頃に現在の竹の先端のように、斜めに切った「そぎ」と、節のところで真横に切った
寸胴(ずんどう)」の2
種類がありますが、もともとは門松は寸胴(真横に切ったもの)でしたが、
そぎになったのは1572年 
徳川家康が武田信玄に「三方ヶ原の戦い」で負けた後
元旦に信玄より家康に句が届けられます
《松かれて竹たぐひなき旦哉 》松平=徳川 と竹=武田
「まつかれてたけたくいなきあしたかな」
(松(松平)枯れて 竹(武田) 類なき あしたかな)
家康は徳川ではなく松平姓

松平の家の家来はこれを読み替えて
「松枯れで 武田 首なき あしたかな」
そして斜めに切ったという 話
『江馬務著作集第九巻『風流と習俗』 「門松の研究」』より

これ以来 武家はこれを真似てそぎにしたそうです
(武家が斜めに切ったのは 忠誠を表したと言う説もあります)
昔ながらの寸胴は商家が(日本橋界隈は昔から商家が多くデパートなどはいまでも寸胴)、
またそこから発展させた派手な「そぎ」を好んだようです。
現代においては「そぎ」が多数派になっています。

では武田信玄のお膝元 山梨では 全部寸胴かというと
割とそうでもない、きっとこのあたりは商業的に門松の仕入先が
関東であって、寸胴の事情を知る地元職人が作っていない、というのも
あるかもしれません。
ただ甲府あたりでは武田だから寸胴に戻そうよ、という動きがあるようです。



今日の様な形に固定し全国で同じように見られるのは、
江戸時代に、諸国の大名が江戸に参勤交代に集まった為に
現在のような門松が全国に広まったと推測されます。

それ以前は 先にも書いたように 松を立てただけとか 竹で囲われた
神道の祀りのような棚飾りであったり
地方独自の形だったと思われます。
01_11DSC_0362.jpg
浮世絵などから抜粋しスケッチした門松

門松を片付けるのは何時?
江戸時代末期には7日で門松を片付けるように
御触れが出たようで、後に火災予防の目的から6日の夕刻に片付けるようにと変ったそうです。
これが今の 7日まで飾るという定説になったようですね。
(地方によって さいとやき どんとやき など正月飾りを集めて燃やす風習があり
これまでに飾りを外すという曖昧な期日も一般的です)


その他飾ることに関する話として
門松は明治の時に一時廃止例が出ます
文明開化の時は、西洋文化の模倣は頻繁に行われ、
日本の伝統文化はほとんど否定され廃止されたことが
由縁ということらしいです。

「新年門松飾正院ニ於テハ改暦以後廃止セシ旨陸軍省ヘ回報」
正院は新暦を採用した明治6(1873)年以降、門松を飾るのをやめています。

但し明治13年ごろには門松を飾る風習は官庁などで復活したと記されています。

戦中は松はヤニを採取したりしましたので 飾ることは無かったようです。




  1. 2013/01/06(日) 18:36:36|
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